セミナー

UD塾#2

スポーツ×ユニバーサルデザインの可能性

UD塾は、過去2年間の活動で関わりができた多様なユーザーや、企業会員、事業主体、様々なプレイヤーが相互連携できる活動母体として、情報交換や交流を行いユニバーサルデザインプロジェクトの創出を目指す学びの場です。

2019年9月27日、第2回は「スポーツ×ユニバーサルデザインの可能性」

NPO法人STAND代表理事で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問を務める伊藤数子さん、公益社団法人金沢青年会議所2019年度副理事長を務める柏野真吾さんのお2人をゲストに迎えました。

「障害は個人にあるのではなく、社会の側にある」
パラスポーツには、この問題を解決できる可能性があります。
スポーツを通して、みんなが好きなことに挑戦できる「共生社会」への一歩を踏み出していければと思います

すべての人が好きなスポーツに関わる社会へ

伊藤さん写真

伊藤数子さんは金沢に住んでいる時に、電動車椅子サッカーチームである「金沢ベストブラザーズ」のある選手と出会う。その年「金沢ベストブラザーズ」は地区大会で優勝し、大阪で行われる全国大会の出場が決まっていたが、その選手は外泊を禁じられていたため、大阪に行けなかった。

その選手のために何かできることはないかと考え、2003年に史上初であるパラスポーツのインターネット生中継を行った。

中継会場にいたとき、ある男性から「お前ら障がい者をさらし者にしてどうするつもりだ」と言われ、怖さとともに違和感を覚えた。

この違和感をきっかけに伊藤さんは、2005年NPO法人STAND(以下、STAND)を設立した。

障がい者の自立

1960年頃は医者が障がいのある人にスポーツを禁じていたため、1964年東京パラリンピックの日本選手団53人中、日常的にスポーツをしている選手はひとりもいなかった。
その結果、日本は惨敗、しかし欧米の選手から学んだことがあった。
欧米の選手は試合が終わるとタクシーで観光や買い物に出かけていった。夜には音楽の生演奏とともに歌って踊っていた。
大会が終わった後、日本選手は欧米の選手から「日本のチームは本当に弱かった。でもその原因は技術レベルが低い、練習量が少ないのではなく、日本の障がいのある人に対する考え方が私の国と違うことだ」と言われた。
欧米の選手には家庭があって、子供がいて、仕事をしていて、日常的にスポーツをすることが当たり前であった。
一方、日本の選手は試合以外、施設で寝たきりの生活を送り仕事も53人中3人しかしていなかった。自分たちとはまるで生活が違うことを思い知った。

障がいのある人は別世界の人?

伊藤さん講演の様子
日本の障がい者の総数は936万人、障害者手帳を持っていない人を加えると1000万人はいると言われている。これは日本の総人口の約1割であり、決して少数派ではない。
 
伊藤さんがSTANDを設立した時に、スポーツメーカー100社に電話をかけたところ「うちは障がい者のためのウェア、シューズ、道具は作っていません。」と多くのメーカーから言われた。
障がい者はスポーツをする際に、障がい者用のウェアや道具を使っているわけではない。障がいのない人と同じものを使う。
IPC(国際パラリンピック委員会)がとりまとめているアクセシビリティガイドラインには、スタジアムの総座席数の0.5%を障がいのある人たちの座席として確保することを推奨している。
日本一車椅子用の席が多いマツダスタジアムでも0.43%(33000席中142席)と下回っている。
全盲の人でも、毎年シーズンチケットを購入し、スタジアムに訪れる。同じチームのファンと一緒に試合の雰囲気、臨場感を味わいラジオを聴きながら応援をすることが楽しみになる。障がいのある人も私たちと同じ楽しみがある

好きなスポーツを「ささえる」

東京オリンピックの開催が決定した2013年9月7日以降、STANDの事務局に「パラリンピックが来るから、ボランティアがしたい。」と電話が良くかかってくるようになった。
そこでボランティアのためのボランティアアカデミー開催を決め、パラリンピックの選手と共にプログラムを作成した。
参加者から「視覚障がいの人の誘導の実習をした2日後、街中で白杖を持っている人を見かけました。私は生まれて初めて、障がいのある人にお声がけをして近くの目的地までご案内をしました」という声を聞いた。
ボランティアアカデミーの開催は共生社会、ユニバーサルデザインへの第一歩であった。

「共生社会」に向けて

伊藤さん講演の様子
「障がいのある人が近くにいて、気になります。でもどうやって声をかけていいかわかりません。」
答えは、普通に声をかけるだけ。
「障がいのある人が一番移動しやすい国内の地域はどこですか?」
答えは、大阪。大阪には普通に声をかけることができる大阪のおばちゃんがいるから。
 
2020年東京パラリンピックのレガシーの1つに「共生社会」が掲げられている。
パラリンピックの開催はユニバーサルデザインの実現、そして共生社会へと向かう社会変革活動であり、絶好の機会である。
パラリンピックがあるから、これができると関心や共感を皆さんに抱いてもらう最高の機会にしていきたい。

インクルーシブ社会創造を目指したパラスポーツの取組

柏野真吾さん

柏野真吾さんがインクルーシブ社会、共生社会、障がい者と自分との関わりについて考え始めたのは、所属する公益社団法人金沢青年会議所(以下、金沢JC)2019年度副理事長という役職を担うことが決定してからであった。

本業は経営コンサルタントであり、スポーツ関連事業も手掛けていたため障がい者と関わる機会は少しあったが、まだまだ知識や経験が追いついてなかったと柏野さんは話した。

社会にある偏見

柏野さん講演の様子
障がいは人にあるのではなく、障がいがあるということで区別をしてしまう社会にあるのではないか。
私たちや社会にある偏見が障がいを生み出しているのではないか。
金沢JCとして、インクルーシブ社会創造を目指したパラスポーツの取り組みを行っていくにあたり「障がいがあるとか、ないとか、性差や人種、年齢関係なくそれぞれが持っている個性を尊重し合いながら、個性を発揮し活躍することができる社会」そんな社会を金沢で実現したいと考えた。
そこから続々とプロジェクトを行っていった。
スポーツ庁長官である鈴木大地氏を講師に迎えた「スポーツが持つ力でインクルーシブな街の実現」をテーマにしたフォーラムの開催。
障がい者と企業で働く従業員による農園体験事業である心のバリアを取り除くワークショップの開催。
そしてブラインドサッカー体験型プログラムの開催へとつながる。

ブラインドサッカー体験型プログラム

偏見を取っ払う

ブラインドサッカーはパラリンピックの正式種目の1つ。フィールドプレーヤーは全盲※、ゴールキーパーは弱視者または晴眼者が行う。
そして、以下の3つの特徴がある。
 
①音が出るボール
転がると音が出る特別なボールを使用。大きさはフットサルと同じ大きさ。音が出ることでボールの位置を把握できる。
②「ボイ(Voy)」
ディフェンスはボールを取りに行くとき、自分の位置を知らせるための「ボイ!」という声を出さないといけない。「ボイ(Voy)」はスペイン語で「行く!」という意味。
③目の見える人の協力
ゴール裏にガイド(案内役)がいて、ピッチの選手にゴールの位置(距離、角度)などを伝える。サイドラインには高さ1mほどのサイドフェンスが設置され、ボールがサイドラインを割らないことや、選手がピッチの大きさや向きを把握することも助ける。
 
「ブラインド」という言葉があるため、目が不自由な人がするスポーツに捉えられてしまうが、実際は目が不自由な人と目が見える人が支えあい、強みを活かしゴールを目指すスポーツである。
ブラインドサッカー体験型プログラムのゴールは、インクルーシブ社会創造のきっかけにすることと、参加者の心の中にある偏見を取り払うことにある。
 
2019年7月27日(土)に障がいのある、ないに関係なく参加者を募り、第1回ブラインドサッカー体験型プログラムを開催した。
普段目が見えている人同士が、声だけでコミュニケーションを取ろうと思うと、なかなかうまくいかない。そこで、手を繋ぐ、肩をたたくなどいつもしないコミュニケーションを取りながら少しずつプレーをしていく。
ブラインドサッカーを体験することで、チームワーク力や信頼関係を強くすることができる。また、自分の弱点に気づき頼りになるのは周りの人の思いやりであることに気づく。
 
※国内ルールでは協議普及のため、目の見える人でもアイマスクを着用することでプレーは可能。

見えない糸を強く

深いコミュニケーションを取ることは、私たちが暮らす社会、地域、会社、組織、チームの人間関係作りには欠かせない。ブラインドサッカーは目にみえない人と人をつなげる信頼関係の糸を強くする。
ブラインドサッカー体験型プログラムの参加者から
「障がいがあると何もできないという思い込みは間違いだった」という声を聞き柏野さんはこう語った。
「障がいは社会の側にあり、ブラインドサッカーはこの偏見を取り除いてくれる。アイマスクをつけるだけで体感することできるので、私たちが体験会を通して感じたことを皆さんにも感じていただきたい。」
 
ブラインドサッカーを通して偏見が取り払われ、金沢が関係の糸を強くした人たちで溢れ、日本や世界へと糸がつながっていく。そんな気がしてワクワクする。