セミナー

UD塾#2 フロアディスカッション

スポーツ×ユニバサールデザインの可能性

パネラー:伊藤 数子 NPO法人STAND代表理事/東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問

     柏野 真吾 公益社団法人金沢青年会議所 2019年度副理事長

司会進行:安江 雪菜 (一社)ユニバサールデザインいしかわ 専務理事

フロアディスカッションの様子

安江
ここからはフロアの皆さまに質問や意見をいただきながら進めていきたいと思います。
最初に私から柏野さんに質問があります。
柏野さんは、学生の頃からサッカーをやっていたんですか?フットサル?

柏野
フットサルのお店を運営していますが、サッカーもフットサルも体育の事業以外していないです。サッカーをしている人に「いいな」と憧れを抱き、何かできることがないかと思い気づいたらショップを作っていました。

安江
なぜ色々なスポーツがある中で、ブラインドサッカーを事業として行うと選んだのか教えていただけますか?

柏野
ユニバーサルデザインいしかわの活動に影響を受けました。
私たちが金沢青年会議所として、インクルーシブや高齢者とのかかわりについての活動を今年やっていこうと決めた際に、どこから手をつければいいかわからなくなりました。
その時に偶然、ダイアログ・イン・ザ・ダークが開催されるということで、見に行ったことがきっかけです。
視界がなくなるというか、目を使わないコミュニケーションを体感して、他の人たちが気軽に体験することができたらいいなと思い、ブラインドサッカーの方に傾いていきました。

安江

昨年に21世紀美術館で開催されたダイアログ・イン・ザ・ダークについて詳しく説明します。

金沢では初開催、そして地方の美術館で開催することも実は初めてでした。

21世紀美術館を純度100%の暗闇にすることが実は大変で、目張りをして光が入り込まないようにしました。チェックの段階では、しばらく目を慣れさせ、目が慣れてくるとうっすら光が入ってきていることが分かるので、光が入ってきているところを目張りしてという作業を繰り返しました。

「工芸」をテーマに暗闇の中で「工芸」を手で感じることを重要視しました。

通常「工芸」は貴重品なので触れず、目でみることが普通ですが、ギャラリーの協力も得ながら触っていい「工芸」を提供しました。すると「工芸」の楽しみが広がったような気がしました。

視覚を奪われた状態の中で、花の香りやお茶会の銅鑼の音を楽しむ感覚が研ぎ澄まされていました。

私はここにいます。「I’m here.」と自分が言わないと暗闇の中では、自分の存在が消えてしまう。みんながお互いの存在を確認しあいながら、声を掛け合いながら90分間暗闇を進んでいきます。

その時のアテンドをしてくれる視覚障害者の方の非常に丹念な場の作り方や声のかけ方が素晴らしく、お互いが最初は他人同士ですが、近く感じる、お互いの存在をいつくしむ、私はここにいていいと感じられるコンテンツを提供しました。

ブラインドサッカーと一緒で、コミュニケーションをして相手と言葉を交わして、伝わる、聞くということ。

そういう意味でブラインドサッカーを体験する前とした後では、皆さんの関係性はどういう風に変わりましたか?

柏野

ブラインドサッカー体験型プログラムの現場にいた、金沢青年会議所の田辺さんが本日のセミナーに参加されているので、話を聞いてみたいと思います。田辺さんはブラインドサッカーの講師の資格もとっています。

田辺さん

金沢青年会議所の田辺です。

ブラインドサッカーを体験する前と後では、体験するまでは頭でっかちになるというか、障害がある方の気持ちや感覚を疑似体験して何か勉強しなきゃいけないという気概がありました。しかし実際体験してみると「普通」に楽しくて、必死に動いて、コミュニケーションを取ってあっという間に終わってしまう感覚を覚えました。

ブラインドサッカーはパラスポーツということではなく、新種目のスポーツで最高のコミュニケーションツールであり、相互理解に役立つものだと思います

安江

田辺さんありがとうございます。

伊藤さんもブラインドサッカーに関わることがあると思いますが、今のご意見を聞いていかがですか?

伊藤

今の「普通」という言葉に共感します。

パラスポーツは特別なことや、スポーツとは別のものではありません。実際にやってみることで「普通」という言葉が出ると思います。

安江

一方で、私たちは日常でパラスポーツの現場を目にすることがありません。

視覚化できていないから存在しないような感じがしますが、東京ではパラスポーツのニーズは顕在化しているのでしょうか?

伊藤さん

伊藤

パラスポーツをする時は、体育館を予約します。そのため体育館に入ってしまうと、他の人は見ることができないので、誰にも知られずに終わってしまいます。

私たちは、パラスポーツのイベントを行う時、体育館ではなくショッピングモールで行うこともあります。体育館で行う体験会は内容が濃くなりますが、知っている人や興味のある人に限定されてしまい人数に広がりが出ません。ショッピングモールで開催すると、まったく参加するつもりがなかった不特定多数の人、スポーツが嫌いな人にも、あまりにも楽しそうだからちょっとやってみようかなと気を起こさせるそういう仕掛けをしています。

最近オープンで見られる会場で陸上の大会をやろうとか、そういうことは増えてきています。それは通りかかった人がみかけるチャンスを増やそうという思いがあります。

スポーツをするというのは、体育館を予約して、シューズ、ウェア、ボールを買って、習いに行くイメージが強いですが、例えば商店街の空いている場所をつかってちょっとやるとか、駐車場が空いている時間にやるとか、そういう気軽にできてちょっとやれるということを増やしていくことが大切です。

こういうことを広めていくことで、スポーツとしてではなく、遊びとしてやっていく、その中にパラスポーツを混ぜていければと思っています。

安江

現状では私たちとパラスポーツの間には距離感みたいなものがあります。普段の暮らしの中にパラスポーツが入ってくると、非常に接しやすく、それこそ大阪のおばちゃんみたいに声をかけたくなると思います。

柏野さんから伊藤さんに質問はありますか?

柏野

私はフットサルのウェアを企画、製造する会社を経営していて、一時期、障害がある方専用のウェアを作れないかと思い銀行と話をしていました。当時2015年頃は、パラスポーツは認知されつつもあるけど、まだまだな感じがあり、様々なプロジェクトを考えていましたが実現には至りませんでした。

2015年頃とオリンピック、パラリンピックを控えた現在の状況は変わっていますか?

柏野さん、伊藤さん

伊藤

社会が、障害のある人がスポーツをすることさえ知らなかったSTAND設立の頃と比べると2020年東京パラリンピックの開催が決まってからは隔世の感があります。パラスポーツの体験会やイベントが各地で行われ見聞きしたり、足を運ばれた人たちが増えたのはすごく良いと思います。

安江

石川県では20数年前にバリアフリーを掲げて整備が進みバリアフリー社会推進賞などを作られました。しかし時代の波があり、当時はすごく色んな活動があったそうですが、ここ数年は東京パラリンピックが開催されるため盛り返していますが、その間には空白の20年があります。建築においても、道路整備においても基準はできましたが、逆にできたことでこれだけ守ればいいという感じになり、基準は守るが実際になんでこれが必要なのかという理解が進んでないので、不具合が現場で起きています。2年、3年経ったときに、また空白の20年があると、東京オリンピック・パラリンピックで機会を作ったのにもったいないという危機感を感じます。

伊藤

やはり社会に障害があるというところに落としておかないと、また繰り返してしまうと思います。

私たちは障害の医学モデルから社会モデルへということを広めようとしています。医学モデルは、障害はその人にあるという考え方で、社会モデルは、障害は社会の側にあるという考え方です。これをどうやって社会に落とし込んでいくかが大切です。

子供たちを対象にした車椅子バスケットボールの体験会を例にお話します。

私が車椅子バスケットボール選手だとすると、私は子供達にバスケがすごい上手な選手、カッコイイと思われます。

子供たちに「この体育館の中で、一番バスケがうまい人だれ?」と聞くと、

子供たちは「伊藤選手!!」と答えます。

子供たちに「この体育館の中で、一番かっこいい人はだれ?」と聞くと、

子供たちは「伊藤選手!!」と答えます。

子供たちに「お友達になろうよ」と言うと、

子供たちは「お友達になる!!」と答えます。

子供たちに「みんなの教室どこ?お友達になったからみんなと一緒に給食が食べたい」といった時に、その教室が2階の場合があります。

子供たちに「一度校長先生のところに挨拶にいって、それから教室に行くけどエレベーターあるよね?」と聞くと

さっきまで子供達はにぎやかだったのにしーんとしてしまいます。

そこで子供たちに「障害ってどこにあるのかな」と聞くと

子供たちは「階段!!」と答えます。

 

車椅子バスケの体験をして、おもしろい、うまくできない、伊藤選手かっこいい、障害がある人でもすごい人がいるというところで終えるのではなく、障害は人にあるのではなく社会にあるということに気づいてもらうことを体験会の中に組み込むことが形骸化を防ぐ方法だと思います。

フロアディスカッション

安江

子供たちへの教育が重要になると思います。大人になってから「頭」で理解するよりも、子供のときに「心」で理解、体感すること、その経験が後々大きな影響を持つなということが分かってきていて、それはコレクティブインパクトだと思います。

大人になってから理解が深まっている人はどういう幼少期を過ごしているのかというと、おそらく「心」で理解、体感する経験をしていたり、うまく伝えてくれる人がいたのだと思います。

 

伊藤さんから柏野さんへの質問はありますか?

伊藤

ブラインドサッカーは、パラスポーツの中でもやってみると何かがわかる代表だと思います。ブラインドサッカーをした後に、何かやっていますか?

柏野

集まってもらった人たちでコミュニケーションを取ることができればいいと思います。例えば目が見える方が、視覚情報をどう他人に伝えるかというのは、普段見えている状態でコミュニケーションを行うので、おざなりな状態でしています。視覚情報がまったく伝わらない人たちに言葉でコミュニケーションを取ることはレベルが高く、言葉のチョイスや語彙力など様々なコミュニケーション能力が向上すると思います。

体験をしてみてどうだったという振返りの時間が大事だと思いましたし、15分くらい時間を取るだけでも変わると感じました。

伊藤

見えない状態のときに、自分自身のことも分かると思います。ブラインドサッカーをやってみると、自分がどれだけ人に伝えることに欠けていたとか、あるいは人のことを途中まで聞いて、最後はわかった気になって聞いてないとか。そういうことが分かるので、振返りを行うとすごく心に残ると思います。

スポーツも生活の一部だなと感じ取ってもらえるといいと思います。

安江

生活の中にユニバーサルデザインや共生社会の情景を生み出すかことがユニバーサルデザインいしかわの目標です。

障害者が人口の1割を占めるという話がありましたが、実はAB型も人口の1割だと言われています。私もAB型ですし、普通に日常にいますよね。障害者も同じくらいいることが見えてもいいはずだと思います。社会化できていないのは、社会の側に障害があるということだと思います。

名鉄エムザの駐車場は3階、4階は広々フロアになっていて、運転の下手な人でも止められるように、通常3台車がとめられるスペースを2台にしています。もちろん入り口近くに障害者用の駐車場もあります。普通の施設では、施設の前に2台分か3台分しか障害者用の駐車場がありませんが、エムザであれば3階、4階ならどこでも駐車し放題です。

施設の中で特定の場所にしかないというわけではなく、全体にまんべんなくユニバーサルデザインを取り入れていけばいいと思います。

 

スポーツの話に戻ります。フロアの皆さんの中で、伊藤さん、柏野さんに聞いてみたいことや質問があればお願いします。

参加者の方

色々な人が社会に存在しているということを知ると、自分の好きな部分が損なわれていたり、もしかしたら自分が不自由だということが落ちてきたりする可能性もあると思いますが、希望を持って明るく生きていけるのだろうなと思いました。

 

昨年、ダイアログインザダーグを体験した時に、目が見えなくなってしまったとしても世の中は暖かくて、楽しく過ごせる場所だということが分かり一定の不安が軽減された感じがしました。また色々人が一緒に当たり前に生きているということを知ると、もう少し気楽に生きていけるのではないかと思いました。

 

LGBTのニュースを見たときに、コメントでマイノリティは黙っていろ、マイノリティが権利を主張するなとか必ずそういう人がいて、そういう人たちがそんな風に思わなくなったらいいなと思っています。

活動をされていてそんな風に言っていた人がそうではなくなった経験をされていれば教えていただきたいです。

伊藤

子供たちがパラスポーツを見学している様子を見て大人が「パラリンピックの選手を、大人はすごいと言いますがすごいの前に『障害があるのに』がついています。子供たちのかっこいい、すごいには『障害があるのに』は付いてない」と話していたことがありました。子供たちから教わり考えが変わったんだと思います。

 

一方で、2012年ロンドンパラリンピックの開催後、民間の調査会社が障害のある人たちにアンケートを取りました。回答の中に、「パラリンピックがあったおかげで障害がある人はみんなスポーツをするべきだと思われて迷惑だ」、「がんばって電動車椅子から手動の車椅子に変えろといわれた」、「スポーツをしていない障害者はなまけものだと思われて迷惑だ」という意見がありました。こういう変化の仕方もあります。

ツエーゲン金沢 灰田さん

柏野さんツエーゲン金沢ブラインドフットボールクラブ(以下、金沢BFC)のお話をしていただきありがとうございます。今日こういう話が出るとはおもっていなかったのでびっくりしています。

 

私からは質問というか意見というか葛藤があります。

ツエーゲン金沢BFCは、先週の日曜日に初めて公式戦のリーグ戦に参加しました。

中日本リーグといって長野のチーム、愛知県のチーム、山梨県のチームと総当りで戦う試合で、私もクラブを代表して写真撮影や応援に行ってきました。その時試合を見ていて、「すごいな」と感じてしまって、BFCのスタッフから話を聞くと「アイマスクの下にアイパッチをつけて、そのうえにアイマスクをつけるので何も見えない状態で、20分ハーフの試合を1日2試合して、相当神経が磨り減ることで、選手のみんなは疲弊してしまうんです」とスタッフが話していました。

それを自分に振返って想像すると、とんでもないことだと思いました。

 

ブラインドサッカーでは、もともと目が見えない人が何人もいて、そういった方々と比較すると目が見える人はみんなへっぴり腰で、すぐ壁の方にいって、色んな声とか音が錯綜していて全然動けない状態になってしまいます。

普段見えない人はそれが当たり前で、怪我を恐れずに勇猛果敢につっこんでいきます。

それを見て私は「すごいな」と思いましたし、パラリンピックとかを見るのも好きですが「すごいな」という気持ちが先に来てしまいます。

 

今日のお話を聞いていて、「すごいな」と思うことが、逆に障害をもたれている方に失礼なのかと葛藤もあって、接し方や感じ方に罪悪感があります。

伊藤

「すごいな」と思うのは、率直な思いなので、それ自体に罪悪感を覚えるのはもったいないと思います。

『障害があるのに』と思っていないかを自分に問うてみるといいのかもしれないです。

障害がある人に対して、偏見があって、多くの人が偏見を持っていると思いますが、障害がある人が自分達よりレベルが下のところにいますという上から目線で見ていて、そこからレベルがあがったね「すごいね」と思っていれば失礼ですし、率直な「すごいな」という気持ちとは違いがあると思います。

灰田さんのように素直に「すごいな」と思う人がどんどん増えていけば、共生社会につながると思います。

柏野

障害者アスリート用のウェアを作りたいと考えていたとお話しましたが、それは中能登町で開催された「切断ヴィーナス」がきっかけでした。義足に装飾を施し、好きな衣装を着てファッションショーをするものです。

障害者の中に自己表現をしたいと思っている人がいると初めて知りました。

 

私にも偏見があり、障害者は自己表現をあまりしないんだなと勝手に思い込んでいました。実はそうではなく自分が活動をしているということを、自分を通して世の中に知って欲しいと思っている人もたくさんいます。だからこそパラアスリートのことを超人ということもありますし、それ以来「すごい」と思うことにまったく偏見はなく、むしろパラアスリートの映像を見るほうがむしろ心が熱くなります。

実際ブラインドサッカーをしている人はすごいですよね。目が見えない状態で20分間走りまわるなんて私はできないですし、でもそれができてしまうくらい目が見えないことを受け入れ何ができるだろうと探した中でその状態になっているということに「すごい」と素直に感じます。

安江

障害者でも話をしていると、性格が良い人もいれば、悪い人もいますよね(笑)

伊藤

金沢ベストブラザーズの活動を始めたばっかりのときに、応援に来てくれていた、ある人が、試合の後に「本当みんな良くがんばっとる。障害がある人はみんな心がきれいや」と言いました。私はこの考えも偏見だと思います。

安江

自分の思い込みというか、美しいものだとみてしまうことは偏見だと思います。

障害者の環境を知るということを広めていくには、スポーツはいいきっかけだと思います。また、私たちはこれから作っていく社会の中で、それぞれが役割を持つと思います。

建築の話になりますが、例えば設計者という立場であれば、社会基盤のインフラや建築物の中に、「みんなで気持ちよく過ごすにはどうすればよいか」、「デザインとして美しくその場所に馴染んでいるか」という問いを持っている人、ものづくりであれば「どういう風にユーザーは使うだろう」と考えられる想像力がある人がキーパーソンとなっています。

 

スポーツでも同じだと思っていて、どういう人がチャネルの役割をするのか。

オリパラが終わった時の振返りや、新しいスポーツを考えるなど、そういうスポーツのなかでこういう人材がキーパーソンになるとかはありますか?

伊藤

現在のスポーツは、体育や部活という感じで子供たちには習うものとしてスポーツがあります。そうではなくて、「スポーツ=休暇の時の楽しみ」とするとスポーツは特別なことではなく、空いた時間に自分が何か楽しいことをして遊ぶことになります。

 

スポーツそのものの言葉のイメージが今は固定化されているので、もっと気軽な遊びのようなイメージを持ってもらうことが大切です。特にそこに誰かが介在して、そうしないと広まっていかない、変わっていかないことではないと思います。「する」と「みる」「ささえる」というスポーツとの関わり方がありますが、スポーツを遊びという言葉に変えるだけでもっと身近なものになると思います。

そこに特別な誰かが介在しないと変わっていかないものではなくなってしまえばいいと思います。

安江

2003年に伊藤さんはパラスポーツのインタネット生中継をしたと思います。

もしかしたら新しいテクノロジーを組み合わせることによって、もしくは中継しようと思う人がいることによって、スポーツの可能性が広がるだろうなという気がします。

もちろん身近なスポーツもありますが、体感する際にはもしかしたらチャネルの役割をする人が必要なのかなと思いました。

 

荒井理事長から、伊藤さん、柏野さんに質問はありますか?

荒井理事長

情景から学ぶ、体験を通して学ぶという2つの視点があるといつも思います。

私たちには過激なことを変えることも必要かもしれませんが、課題は私たちの中における障害に対するイメージを変えていく、もしくはポジティブなものを作っていくことがすごく大切だとあらためて感じました。その延長に過激な方たちともつながっていけるのかなと思います。

 

私自身も障害のある方と様々なプロジェクトを行ってきて、体験した人の中から出てくる言葉として「感性の覚醒」という言葉があります。

今日のお話を聞いていると、それぞれの現場で「感性の覚醒」が起こっていると思いました。

障害のない方にも「感性の覚醒」はありますが、障害がある方にとっても一緒に何かをやることによって「感性の覚醒」が起こると思います。

障害のある方がスポーツを通して、自分に対してや人間関係に対しての「感性の覚醒」が起こると思いますが、講師のお2人は体験を通してどう感じますか?

柏野

ブラインドサッカーの事業は、就労移行支援事業所の方に協力をいただいて、障害者の方を連れてきてもらっていますが、体験する前と体験した後でその人の状態はどうでしたかとお世話をしている人に聞くと、「普段のスクールに通っている状況とは全く違って、こんな表情ができるのか、こんな喋り方ができるのか、こんな自己表現が豊かな人だったのかと初めて知りました」と言っていました。

「自分自身できないと思っていたことが、できることが分かりました」と障害のある方が話していて、環境を変え色々な人と同じコトをすることで「感性の覚醒」が起こると思います。今まで自己表現できなかった本来の感性が様々な刺激を受けて外に出てくるように感じます。

 

今回ブラインドサッカー体験会の紹介をしましたが、一緒に農作業をするワークショップでも同じように感じました。一緒に何か取り組むことは自分自身を表現することに大きく関与すると感じています。

伊藤

脳性麻痺ので当時50代の人で、わりと社会に対して声をあげる人が知り合いにいます。社会の環境を不便に思い外出回数は少なかったのですが、なんとなく私と馬があったのか一緒に色々なところに行くようになりました。一緒に行くようになると、その人は自宅を完全バリアフリー化の家に改築しようと思っていることが分かりました。一緒に外出するようになってから何ヶ月か経った時に「伊藤さん改築やめるか、玄関だけにするわ」と言われました。「伊藤さんたちと出会って色々なところに出かけるようになって、社会は行けないところだらけで、それを全て変えてくれなんて、そんな無茶なことはできない」そのように感じ、自分の家が住みやすい場所になるとなおさら外出しなくなるから改築しないことに決めたそうです。

彼にとって段差があることは、切実で人々に訴えたい気持ちでいっぱいだったのに、一緒に外出をしていくと自分の家の工事をやめるくらいまで考えが変わる経験をしました。それは彼が本物の社会を見たということだと思います。

安江

人間は学ぶ動物だと思います。

その学びの機会、経験、きっかけを一緒に作ることを考えることで行動が変わりますしお互いの関係性も変わると思います。その媒介としてスポーツがあり、その他にも色々なものがあると思います。何か特別なものではなくて、当たり前のこと、身近なことで、自然に声をかけあえることができるといいなとあらためて思います。