セミナー

UD塾#3 フロアディスカッション

○△□茶碗プロジェクトの進化

パネラー:池田 晶一 金沢美術工芸大学 工芸科 教授

司会進行:荒井 利春 (一社)ユニバーサルデザインいしかわ 理事長/金沢美術工芸大学 名誉教授

荒井さん、池田さん

荒井

これから皆さんと一緒に第2回〇△□茶会を振り返り共有し、茶会の次に思いを向ける時間にしていきたいと思います。本日参加いただいている方々は、お茶会に参加された方がほとんどだと思いますので、ここからは、このプロジェクトに参加した人同士が体験を通して感じたことを、一緒に共有していきながら私たちはどこに向かっていけばよいのか探っていきたいと思います。

2017年にUDiが発足してから、金沢でユニバーサルデザインをどうやって広めていくのかを考えてきました。ゴールはとても広く、深く、遠い営みなので、簡単に答えが出るものではありません。では、何が手掛かりになるのか様々な活動をしている方の話を聞いたり、一方で私たち独自の営みとしてなにができるのか考えている時に、金沢の伝統・歴史・文化の観点から「お茶会」というキーワードが出てきました。その時は何ができるのか見えてはいませんでしたが、今回、第2回〇△□茶会を開催して本当に良かったと実感しています。

私自身ユニバーサルデザインという言葉がない時代から、障がいのあるシビアな方から、誰にでも開かれたデザインの答えを見つけ出す営みが必要だと気付き、ものづくりや建築の方々と協働で取り組みを行ってきました。その中で、お茶会というのは柔らかくて、深くて、これからどういうことが起こるのか、メンバーの一人として楽しみながら探り続けています。

私たちは、○△□茶会という魅力的なお茶会に参加しました。茶会に参加した一般の方のアンケートに、私が共感した気づきや感想が多くあります。皆さんにも、ぜひ味わっていただきたいと思うので何名かの感想を紹介します。

「自分の好みの茶碗でいただけるというのがまず楽しかったです。そして、選んだ理由や感想をお互いに聞き、共有できたことも興味深く、人数分のお茶碗を楽しんだような気分です。障がいによって使いやすいポイントが違うのも新しい発見でした」

「金沢にはお茶会がとてもたくさんありますがとても新鮮なお茶席でした。茶会で参加した一人一人の感想を聞く機会はあまりないのですが、同じ場を共有しているもの同士で共有するのはとても楽しいと思いました」

「使わせていただいたお茶碗が本当にかわいくて家に連れて帰りたかったです」

「直観で頭でっかちに考えず、かわいいと思ったものを選ぶほうが後味が良く、満足感が高いとわかりました」

「それぞれの器を選んだ理由をシェアしたときに心で感じたこと、体で感じたことがあり、障がいを持つ方とそうでない方とで感じることが違うことを知りました。また、同じように感じていることなど、どちらが正しいということでなく、視点の違いでもあり、心で感じることに正解はないと思います。ともに生きるとは違いを知り、ともに感じていくことであるのだと感じました」

「とても良い空気が流れる場でした。下手なシンポジウムよりとても響くと思いますので、ゆっくりと大切にこのイベントを育てていくことに貢献できたらと思います」

本当に一言も無駄がない言葉を皆さん選ばれています。このような言葉を皆さん用意して参加したのではありません。お茶会の時間を通して、こういう言葉が醸し出されたのだと思います。

それでは、お茶会を通して感じたことを、本日参加しているみなさんの立場から気軽に言葉にして、共有してもらいたいと思います。皆さんいかがでしょうか。

荒井(車椅子ユーザー)

お茶会は、どちらかというと敷居が高い印象がありました。今回のお茶会は、私たちが参加しやすいようにテーブルや椅子を使ったお茶会だったので、あまり緊張しなくても良いような空間だったと思いました。あまり緊張しなくても良いような空間が、ちょっとした心の余裕にもつながって、周りの方とも楽しく会話ができました。

荒井絵美さん

参加学生 

大学だと作品制作は一人ですることが多く、障がいのある方と一緒に作ったり、話し合いながらその時の空気に任せて作品を作ることが新鮮で貴重な経験になりました。

須永(車椅子ユーザー)

今回のお茶会は「対話」がプラスされていて、お茶碗を制作した意図と使用された方の感想がちょっと違ったりっていうのが面白かったです。制作に関して、今回は釉薬や絵付けもプラスされたので制作からお茶会まで本当に楽しいプロジェクトだったと思います。

荒井

次回のお茶会で、どんなことが実現されれば良いと思いますか。

須永(車椅子ユーザー)

お茶会となると畳の席で敷居が高くて緊張しながらという感じだと思うのですが、今回の〇△□茶会は、色々な人が入り混じってお茶会の基本の動作も関係なく緊張せずできたので、外国の方にとっても楽しめるお茶会にできたら良いなと思います。

中村(車椅子ユーザー)

すごくいい感じでのお茶会でした。茶会で使用するお茶碗を制作する時は、最初から美大の学生がサポートしてくれて、私の意図を読み取ってもらえて本当に助かりました。いいお茶碗ができたと思っています。この会場にサポートしてくれた学生も来ているので、改めて感謝したいと思います。

当日、川崎先生にお茶を点ててもらったのですが、先生に背中を向けて座っていたので、先生が点てている姿を見られず少し残念だと思いましたが、席に参加しているみなさんの顔が見えました。最初にお茶が来て、みなさんが一点集中でこちらを見る中、作法も知らずおどおどしながらお茶を飲んで、作法を教えてほしいなとふと思いました。

また、他の参加者の話も聞けて非常に有意義なお茶会でした。次があるなら、自分でお茶を点てて飲んでみたいです。先生に点てていただくお茶は、非常においしかったので、自分が点てたらどれだけ味が違うのか興味深いです。

唐苧(車椅子ユーザー)

私は、福祉大学で池田先生のゼミに所属していて、そのご縁で参加しました。お茶碗制作の時は、とにかく自分の使いやすいものを作りたいと漠然とした考えで制作をしました。当日のお茶会は、色々なお茶碗が並んでいる中で自分の好みのものを選ぶ形式でしたので、自分が作ったものではなく、他のものを選びました。自分が作ったものは自分には重すぎたからです。お茶会が終わり、池田先生のもとに、お茶碗を取りに行ったときに「僕のお茶碗を選んでくれた方はいましたか」と聞くと、何人かいたそうで、使った方は、「この形がしっくりくる」、「重みがいい」など私の感想と使う人の感想が違うというのが面白いと思いました。

唐苧さん

荒井

今のお話はとても面白いですね。つまり自分が作って使いやすいと思ったが少し重かった、どうなのかなと思ったら逆にそれがいいと思った人がいた。ユニバーサルデザインにも絶対的な答えはないのかもしれないですね。

お茶を味わってどうでしたか。

唐苧(車椅子ユーザー)

お茶については、あまり飲む機会がなかったのでよく分かりませんでした。ただ、自分のイメージしているお茶会というのが畳の上で皆さん正座してお茶を飲むスタイルだと思い込んでいたので、今回の〇△□茶会は、今までの自分のイメージと全然違うものだったので、面白いなと思いました。

茶会協力者

今回、川崎先生のお手伝いとして参加しましたが、お茶というとお茶室に入って着物を着て作法もしっかりして、敷居が高いというイメージが一般的だと思います。私は楽しくて茶道をしているのですが、楽しいと思えるまでに至るには、敷居が高い状態では難しいと思います。今まで自分は気づかなかったのですが、車いすユーザーが畳だとお茶室に入れないことも含めて色々な視点があることに気づかされました。ほかにもまだ気づいていないことがたくさんあり、それに気づいたらもっと様々な人が楽しめるはず、ということがまだあるのではないかと強く思います。

今回、通しで参加させていただき、各会のお話を水屋で聞いていましたが、同じお茶碗を選んでいる人でも人によって感想が全く違う、見た目と飲んだ時の感想が全然違うことがあって、面白いと思いました。対話から生まれる発見というのはとても大きいなということに気づかされたお茶会でした。また、今回のお茶会はお茶碗と空間を作る段階から様々な人が関わっているので、作者の思いと飲む人の思いの意見交換や、障がいのある方の目線も入り、普通のお茶会とは違ったものでした。

制作サポートスタッフ(中国からの留学生)

今回のお茶会は、以前東京で参加したものとは全然違うイメージでした。話しながらモノを作るということが貴重な経験になりました。父も左手が不自由なのですが、障がいがある方と一緒に作業をすることで相手の気持ちを大切にするという気持ちが大きくなり、金沢の芸術への興味も深まりました。

参加学生

普通お茶会というと敷居が高く、一回で終わりということが多いと思うのですが、今回夏ごろから皆さんと対話しながらお茶碗を作り、絵付けして、その茶碗でお茶会をするというのがとても新鮮で、約半年間参加して良かったです。みなさんが作る形が個性的で面白いと思いました。工芸はデザインとアートの中間とよく言われるのですが、お茶碗を作る時に、作りたいという意思とは別に、持ちやすさやデザインの考えも大事だなととても考えさせられました。

参加学生

池田先生が作品を作る時に、「人のために作る作品」と「自分を表現するために作る作品」があるとお話しされていたのですが、今回の〇△□茶碗プロジェクトでは、障がい者と一緒に作ることで、人のために作って人のために商品化する作品を、使っているところを見て声を直接伺う、とても貴重な経験ができました。

荒井

使っている姿が見れる、作り手として使い手と空間を共にすることやものづくりを共にするという機会はあまりないとのことですが、作り手として使い手と一緒に作品を作る前と後で何か気づきはありましたか。

参加学生

手に力が入らない方と一緒にお茶碗を制作した際に、形は三角形が手に乗せやすい、重さは重過ぎると持ちづらいから軽めにする、「なるほど」と思ったのは、土の質感がつるつるしていると落としてしまうから、ざらざらしている方が良いことでした。自分が人のために何か作る時に、そこまで考えて作らなければならないのだと感じました。

荒井

「なるほど」と思うことは重要ですね。いつのまにか日常生活の中には、「なるほど」がなくなっていっているように感じます。日常生活を普通に過ごすために実は、作り手の立場で何を作るのか、どう作るのか、それを使う人はどのような状況なのか、作り手として使い手に「なるほど」と思わせるリアルな現場からのひらめきが重要です。これからゆっくりと共振していくものなので止めないで大事にしてほしいです。

参加学生

自分だけで作品を作るときは、複雑化された中で作っている感じがするのですが、このプログラムの中で作品を制作していると、人との対話を楽しみながら単純化された中でシンプルに考えて作品制作をすることができました。自分で一から作るというところから始まって、お茶を楽しむという流れがあるのも面白く、とても楽しませてもらいました。

荒井

複雑化に対して単純化があります。単純化のキーワードのベースとして、使い手との関係性や作品を作って、使うところまでを通して、改めて単純化という意味が分かったのだと思います。私たちは易しいことを難しく捉えがちなのかもしれません。

UDi永井理事

このお茶会の良いところは、お茶碗を作ったセンシティブユーザーの思いと、目が見えないというのはこういうことなんだという学生の学び、それがストーリーとしてつながり共有できる場であったことだと思います。また、色々な人が協力しあう場づくりが良かったと思います。今後、私にできることがあればお手伝いしたいです。

UDi永井理事

荒井

「ストーリー」「場」というキーワードが出たのですが、このお茶会は、ここに至るまでのストーリーがあり、今日改めて池田先生の作り手としての葛藤と教育者の立場からの葛藤を含めて聞かせてもらいました。そして、学生の皆さんのストーリーを聞いて、それが最終的にお茶会という場に昇華していきました。お茶会という場が、私たちにとって非常にシンボリックな場になったと思います。

月輪(茶会協力者)

私は寺の息子なので、普段はみんなあまねく掬い取ってもらさないというような仏様の話をしていますが、このユニバーサルデザインのプロジェクトのコンセプトや考え方そのものだと思います。私も途中からお茶会の運営に携わりましたがUDiや池田先生、学生そして障がいのある人など様々な人の思いが、少しずつ積み重なって温かく優しい空気の場ができたのかなと感じています。

ユニバーサルデザインの「デザイン」をどのように考えるかといったときに、形のあるものと考えてしまいますが、実際の場を設えていくことを考えること全体が、ユニバーサルデザインの考え方なんだと思いました。

当然いろんな対話も生まれ、学生は作り手の立場でいろんな意見を聞いて有意義だったと思いますし、私たちも空気を感じて、温かい気持ちをもらえました。センシティブユーザーからは自分のものが形になっていくのが楽しかったという声をいただけましたし、お茶会は敷居が高く行きたいと思っていても、足が遠のいていた人が今回参加することができたという声を聞くことができました。仲間に入れてもらえて多くのものをもらった気がしています。

川崎(茶会点前・表千家教授)

お茶の世界は本来平等なはずなのに、現実はどうなのかと自分の中で疑問を感じながら、それでもお茶は良いものだと、自分に言い聞かせ、本当にいいところは良いと皆さんにお伝えしながら茶道の世界にいます。今回のプロジェクトの話を聞いて、一番大事にしなければいけない思いに携わることができる機会だなと思いました。骨折をして不自由になった時に、改めて色々なことを感じ、その時に初めて、諸先輩方が、足が不自由になったばかりに「お茶会に行きたいのにいけない」と言われていたことなどを思い出し、自分が歳をとったらどうなるのかなど、色々考えていた時のお茶会だったので思いも深かったです。

私の気づきは、お茶の世界での常識、例えば軽いお茶碗が使いやすいと思っていたのですが、手が不自由な方は重さがあるほうが使いやすいと聞き、衝撃的でした。そういうことも含めて、ものの見方、感じ方というのは、人それぞれなんだと改めて感じる機会になり、常識・価値観って何だろうと深く感じるお茶会でした。

川崎さん

荒井

〇△□茶会と名付けたのは、第1回目のお茶会を鈴木大拙館でやろうという話が出たことそして、鈴木大拙が〇△□をユニバースと訳したことが発想の原点です。鈴木大拙の言葉の中に、宇宙という捉え方があります。私たち一人一人が宇宙的存在であり、因習にとらわれない存在だと感じます。また、鈴木大拙は「月を指さしてその指を月と思ったら大間違い」ということを言っています。つまり、私たちは月を見ていると思っている時に、月の説明を通して月を見てしまうのではないか、本質を捉えていないということだと思います。いつの間にかこれはこういうものなのだと考え、色々な物事が流れていく中で、時々立ち止まり宇宙的存在としての時間を持つ、今回のお茶会はそういう場だったのではないかと思います。

お茶会で出されたお菓子をデザインの立場からお伝えしたいと思います。第1回目のお茶会に向けて、「吉はし」さんにたくさんの主菓子をつくっていただきました。それを指の力の弱い方や目の見えない方々が手にとって食べながら、主菓子の形などについて気づいたことを言葉にしました。主菓子を食べていくと形が変化していきます。すると掴んだ手の中の菓子の形やバランスが変化していき、とても不安な要素となることがわかりました。そこから「吉はし」さんは、直方体の主菓子をつくってくれました。食べ進んでいってもつかむ感触が変わらない、指の力が弱かったり、目が見えなかったりしても安心して食べられる主菓子です。直方体のシンプルな形の主菓子は、とてもユニバーサルであることに「吉はし」さんが気づかれたのだと思います。直前に温めてお茶席に出された主菓子は、持ちやすさと食べやすさだけでない、温もりや香りをも楽しめる豊かなユニバーサルな主菓子であることを私たちは教わりました。

 今回のお茶会で出された主菓子は、触覚で形がわかるような配慮が見られます。目の不自由な方でも楽しめるテクスチャー、形も楕円形なので食べ進んでも形の変化が大きく崩れにくい。伝統の主菓子の作り手として「吉はし」さんは匠の技と心をユニバーサル茶会へ向けて存分に

発揮してくれました。

今回の空間というのはとてもお茶会の本質的な空間であったかなと思います。今回のお茶会の醍醐味というのは、たくさんのお茶碗を見て、触って、選んだお茶碗で本格的にお茶を点ててもらい、その経験を言葉にして対話を行ったことでした。そのプロセスはとても深い人とものとの関係性が自然に出てくる流れでした。プログラムというと計画的過ぎて面白くありませんが、そういう営みの流れだったのかと思います。川崎先生は今回のお茶会のプロセスを通して何を感じましたか。

荒井理事長

川崎(茶会点前・表千家教授)

通常のお茶会は、お客様を迎える側の思いをお客様にお伝えしながら、今日はこんな趣旨のお茶会ですという風に一方的な会話をしていくのですが、今回の茶会は会話が双方向の対話式で、通常とは全く違うやり方でした。「対話」なしでは、お茶会が成り立たない程、今回のお茶会で「対話」は重要な要素だったと思います。

荒井

お茶という伝統的な作法、姿を通して参加することで味わえる「縦糸」があり、皆さんが自分で選んだお茶碗に出会い、お茶をいただくことで、その器を通した言葉という「横糸」が出てくる。もしかしたら私たちはお茶という文化を「縦糸」にしながら様々な「横糸」を織りあわせていったのではないでしょうか。池田先生はどのような印象を受けましたか。

池田

お茶会が開催されるまでに、色々な人が自然と寄り集まってきたような不思議な印象を受けています。本来なら計画がしっかりと立てられており、開催に向けて進めていくことが普通ですが、今回はどこに行くのかわからない状態なのに、様々な人が集まってどこかわからない場所にたどりついたという不思議な感じです。その中で、お茶の世界は本来みな平等であることが、キーワードだと思います。○△□の図形を見たときに×はないんですよね。否定しない、排除しないということが、鈴木大拙の心の中にあるのかなと思いながら話を聞いていました。お茶会で自らお茶碗を選び、お茶を飲んだ人は、色々な人の話を聞きながら、違うお茶碗の味わいも一緒に体験できたのかなと思います。お茶碗の中に入っているのは実はお茶ではなくて、作り手の、または茶碗を選んだ人の「人」が入っているのではないでしょうか。いつもものを作ったり考えたりするときに物事の根本を考え、自分が作るものはそもそもなんなのかという問いからはじめます。このお茶会やお茶碗づくりを通して自分の中でその流れが明確に感じられて心地よいです。

池田先生

UDi安江専務理事

皆さんのお話を聞きながら色々な思いが交錯しています。2017年に初めてユニバーサルなお茶会を開こうしていた時は、ユニバーサルなお茶会のお茶碗を誰に作ってもらえば良いか悩んでいました。私たち自身も何を作ればいいのか分からなかったので、何名かの作家さんには断られてしまいましたが、一緒に作ってみましょうと池田先生が手を挙げてくださいました。一緒にお茶碗を作っていく一つ一つのステップを踏んでいくことで先が見えてくるような歩み方をしてきたように思います。

当初は、このお茶碗が誰にでも使いやすいというような答えがあると思っていましたが、制作過程の中で、自分ですら気づかなかった内面がどんどん引き出されていくよう感覚やものの見方が変わっていく感覚を制作の過程の中で覚えました。美術館で展示されている作品と比べると、自分の作る茶碗は歪んでいて形も悪かったので、使えない茶碗だと思っていました。有名な作家の作品が正解だと思っていると、他のものに対して否定的になってしまいますが、このプロジェクトを通してもの自体のどこに面白さがあるかを見出す視点が新たに必要であることが分かりました。

また、自分の作品を認め、自分とは違う見方をする誰かがいるだけで、なんとなく温かい気持ちになりました。答えはひとつではなく色々な見方ができるとインクルーシブな世界が描けるという不思議な体験をさせていただきました。

安江さん

荒井

約束された答えに向かっていくのではなく、自分たちが一歩踏み出すことから見えてくる答えを形作っていくことが大切ですね。それは一人ではできないことで、誰かと一緒に作っていく中で、初めて見出され共有できることだと思います。一人だといつの間にか見えなくなることが対話によって発見されていく感じがします。

中村(UDi事務局)

皆さんの話を聞いて、「多様性」について考えました。今回のプロジェクトを通じて、一人一人が違っていていい、自分にはない考えをこの人は持っていて良いことに再度気付かされました。色々な人の特徴と偶然性の良さがが重なり合ってこのお茶会が生まれてきたように感じます。今までの日常でも出さなかったような自分の内側を今回のお茶会を通して、皆さんがさらけ出し、その言葉がつながっていったお茶会だったと思います。

荒井

今回のお茶会は、対話の場だけでなく、そこに土で作った茶碗があったことも重要であったと思います。思うように形作ることができない土でお茶碗を作り、お茶会とは別に、茶碗から言葉をもらう、この全体の営みの中に、簡単には説明できない大切な要素が含まれているように感じます。普段、月輪さんがお話しされている法話にもつながっているのではないでしょうか。

月輪(茶会協力者)

「多様性を認める」と言葉にすることは簡単ですが、「多様性」は違っていることを知るだけではなく、そこにお互いのことを認めていく過程があると思います。例えば先ほど、自分の器は自分では重すぎたけれども、それを別の人は心地よく使ってくれていたというお話がありました。つまり、見方というものは多様であっていいし、認めるってことは色々なものがあっていいということです。今回のプロジェクトには色々なプロセスがあって、その時々に自然と多様性ってこんなことだったのかと感じることができました。

荒井

ここからは第3回〇△□茶会に向けての思いを自由にお話いただきたいと思います。

中村(車椅子ユーザー)

今回は自分で好きなお茶碗を選びましたが、全部試してみたいという気持ちがしてきて、1つに絞るのがとても難しかったです。他のお茶碗でも飲んでみたかったなと思います。次回はお茶碗を選ぶだけでなく、少しだけ作法を教えて欲しいです。作法を全く知らないよりは、知っているほうが味わいも違うのかなと思うからです。また、自分が作ったお茶碗をどこかに展示してもらい、感想をいただきたいなとも思います。

須永(車椅子ユーザー)

今回は作り手の気持ちにもなれたプロジェクトでした。今までは、今ある茶碗を使いにくいけれど、使いやすいように自分なりに工夫して日常生活で使っていました。今回自分が作ったお茶碗を使って、お茶を飲んでいる人がいて感想を聞きたかったなと思いました。

私がお茶会で選んだお茶碗は、「世界一飲みにくい茶器」というタイトルのものでしたが、自分にとってはとても使いやすかったです。

荒井(車椅子ユーザー)

私が参加したお茶会の席は私が作ったお茶碗を選んでくれた方がいて感想も聞くことができました。お茶碗を作るときに、私が使いやすいものと思って一生懸命作りましたが、選んでくれた人は、健常者の方で展示されていたお茶碗を一通り見た後で、私の作品を選んだとお話しされていました。もしまたお茶碗を作る機会があれば、私がいいものというだけではなく、ほかの方もいいなと思ってもらえるような作品を作ってみたいと強く思いました。

唐苧(車椅子ユーザー)

自分の作ったお茶碗を、他の人が使った時の感想をもっと聞いてみたいと思いました。また、自分のつくったお茶碗を展示して、感想を聞く機会があったら面白いと思います。

荒井

作り手として、使った人の声を聞きたいという意見が出てきていますが、お茶碗制作から参加された学生の皆さんの中で、自分が作ったお茶碗について感想を聞く機会があった人はいますか。

参加学生

参加したお茶会では、自分が作ったお茶碗を選んでしまったので感想は聞けませんでしたが、お茶会が終わった後に、学長からあなたの作品を選びたかったけどすでに選ばれていてなかった、と聞いて嬉しかったです。また、私が参加していない席の時に、私が作ったお茶碗でカフェオレを飲んでみたいとお客さんが言っていたと聞けて良かったです。茶会で出た感想が、記録されていると後から振り返ることができるのでまとめてみてはいかがでしょうか。

荒井

〇△□茶会当日は参加されていませんでしたが、本日お越しいただいている方にも、これまでのディスカッションの中での、気づきや感想をいただきたいと思います。

参加者

私が今までしてきたお茶会と全く違うと思いながらも、全く違っていないというところも多くあったと思います。皆さんのお話を聞いていて、これからどこに向かってお茶をやっていけばいいかという自分自身の問いかけの答えをいただいた気がしています。池田先生が話していた、自分を主張するお茶碗はもうやめて欲しいみたいな感覚は、日々お茶会で感じていました。お茶をされる方には価値観等の共通点があり、それはそれで素晴らしいと思うのですが、私が感じているのは、同じようなお茶会ばかりで、同じような季節には同じような花を活けて、同じようなお道具を使って、同じようなお茶を飲むことがすごく多くて、こうじゃないといけないのかなという不自由です。お茶会に参加される人に合わせて、この人にはどの辺の敷居が心地いいのだろうって常に探り探りの状態で、自分はこれからどうやってお茶をしていけばいいんだろうと迷っていましたが、今日ありがたい言葉をたくさんいただいて気持ちが晴れたように感じます。

参加者

参加者

このプロジェクトは、ぜひ継続していただきたいと思います。このプロジェクトは数年で結果が出るものではなく、継続の中で、今日のようなディスカッション、出会いがあり、色々な答えが生まれ、大きな価値が金沢にもたらされると思います。金沢は伝統が重い場所ですが、根気強くプロジェクトを継続させ、茶人や作家も交えてみんなで考え、その考えを各自の心の中に落とし込んでいくと変化は生まれてくると思います。

ユニバーサルデザインという視点でお茶会を捉えると、お茶の世界にも大きな変化が起きているように感じます。例えば、東京の若者の間でブームになっているお茶の世界には、流派がなく、場所にも制限がありません。オフィスでお茶会をする流れも広がっています。金沢では、作法や流派にとらわれすぎている感覚がしているので、作法やお茶碗の形ではなく、お茶会自体のユニバーサルデザインを考えてみてはいかがでしょうか。作法や伝統を一旦リセットして、自由に考えることができたら、こんなに楽しい文化はないと思います。

参加者

荒井

ユニバーサルデザインの根本の理念は、「多様性」と「共生」です。この理念は、健常者や障がい者という概念で人を捉えるのではなく、全ての人をインクルードした時にどのような発想が生まれるかという行為に根差しています。このような社会を目指していく手掛かりとして、金沢の中で様々な物事を多様な人間関係の中で追及していきたいと思っています。私たちの歩みは常に出来上がったものではなく、新しい素朴なものの考え方や理念が生まれる、つまり理念を受け入れるだけではなく、その理念が生まれる状況から物事を進め、相互に確認していくことを願っています。歩んだからこそ見えてくる手掛かり、その手掛かりを確かなものにしながら進めていくことが、大きな柱になっていると思います。その中で、周辺にある様々な事象を情報も取り入れていく、受け入れていくことが私たちの歩みを進める刺激になると思います。

UDi角谷理事

今回の〇△□茶会はUDiにとって、本当にふさわしいお茶会だったと思いました。今後も継続していくことが、進化するきっかけになると思います。進化の方向として、空間にまでユニバーサルデザインの要素を広げてみてはどうかと思います。ユニバーサルデザインを発信・実践できる拠点があり、活動を続けていけることが理想です。

角谷さん

荒井

最後に池田先生から感想をお聞きしたいと思います。

池田

今回のお茶会は、学生、ユーザー、茶人、UDiのスタッフが相互的に関わり生まれた茶会だと思います。私自身も大学教授としての立場を変えなければいけないなと感じています。教員と学生という関係性だけではなく教員も学生から学ぶことが重要だと思います。そして、障がいのある方も別の形でサポートをする側になることです。今後の持続可能性を考えると、関りあう人みんながサポーターであり、学ぶ人であり、教える人であることを学べる活動になることを願っています。

また、私やUDiの皆さんが関わらなくても、自発的な活動が起こり、共有し合う環境に金沢がなっていくことを期待しています。

荒井さん、池田さん

荒井

本日は第3回のお茶会の開催に向かって、非常に有意義な会となりました。金沢では季節ごとに、和菓子屋さんが季節の和菓子を当たり前のように作り、私たちは当たり前のように食べています。その日常と同じような感覚で、次回の開催に向けて歩みを進めていきたいと思います。皆さま本日はありがとうございました。